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Home 相談員のコラム 相談員コラム…老いの方程式①

PostHeaderIcon 相談員コラム…老いの方程式①


 「老後は長い」というのは、親の遠距離介護をしていて実感する。そして「老いる」というのは端的にいうと「体の衰え」だ。手足などの運動機能だけで無く、認知症など脳も衰える。人によって緩やかな坂だったり急な坂だったりするが、あっちこっちが少しずつ衰えるのが「老いの下り坂」だ。

 
アンチエイジングや医療がどんなに進歩しても、少なくとも私が生きているうちは、人間が若返ることは無いだろうし、ピンピンコロリなんて都合良く死を迎えることもないだろう。「老いは抗うものではなく、すなおに受け入れるものだ」というのが、今の私の「老い」観だ。そんな私が老いの下り坂の上で今考えているのが「老いの方程式」だ。

 なんのこっちゃ! と思われるだろうが、老いること(身体が衰えていく)ことを考えると自分の中でいつもせめぎ合うのが「安心、安全」(X)と「自由、自立」(Y)の2つの変数である。そしてもう1つの変数が「お金」(Z)である。これがXYZの方程式である。

 そして、多くの場合X(安心、安全)とY(自由、自立)は相反し合い、Z(お金)はこれをどのレベルで実現するかという関係にある。数学に強くないので、これといった明確な数式にはならないが、この方程式をあれこれ組み立てて、その時点(老化の深度)で自分の解を求めないと、良い老後設計は描けないのではということだ。

 老後の入り口である退職後から介護が必要になるまでの20年ほどは本当の意味での自由な時間だ。小さな子供の頃は親の管理下にあるし、学校に行けば時間割に縛られ、就業すれば尚更自分の好き勝手な行動はできない。家庭を持てば家族、子供が生まれれば子供への責任はあるし、親の介護だって降りかかる。純粋に自分の為だけに生きられる時間というのは一生の中で意外に少ない。

 
仕事を辞め、家族への責任も果たせば、何時に起きても、いつまで夜更かししても、何を食べても、誰と過ごしても、どこに行っても、何をしようと誰にも文句は言われない。そう言われて弾けるほどの元気もお金もたぶんないと思うが、それでも「誰にも気兼ねなくのんきに暮らせる」この自由な時間は貴重な時間だ。言わば、Y(自由、自立)がマックスの状態だ。そんな自由気ままな老後を過ごした後に、いよいよ助けが必要な時期がいずれ来る。

 
一口に「助け=支援」といってもいろんなレベルがある。一人暮らしもしくは高齢者だけの世帯だったら、ご飯作りが出来なくなればお弁当の宅配、お掃除や身の回りの事が出来なくなればヘルパーさんの派遣、お風呂に一人で入るのが心配になったら銭湯やデイサービスの利用、自動車の運転ができなくなったら移動にタクシー、お金の管理が出来なくなれば後見制度、介護が必要になったら介護保険の利用、認知症で一人暮らしが心配になったらグループホーム、トイレに一人で行けなくなったら特養や介護付き老人ホームなどの施設入居である。自分で出来たことを人に頼めば、お金もかかるし、時間も生活の仕方も相手に合わせなくてはならないし、ありがとうの一言も言わなくてはならない。

 
私も親に散々勧めて、大げんかの末に実現したものも、しなかったものもある。「こうすれば生活が楽になるよ」とどんなに勧めても「まだいい」という。なんて頑固なんだろうと思ったし、判断力が低下したせいだとも感じた。

  しかし、今思うに助けが必要になった親を抱える子供の考えるのはX「安心、安全」のことばかり。そして親が守りたいのはY(自由、自立)、つまり気ままな暮らし。子供は昔の同居していた頃の親しか知らないので、気兼ねなく自由に数十年を過ごした親のY(自由、自立)を過小評価しがちだ。親の自由なんて年取ったら我慢すべきもの、助けを拒否するのは我が儘とうつる。だから、どんなに誠意をもって話しても平行線でけんかになるし、受け入れてもイヤイヤなので不満が募る。

  最初にX(安心、安全)とY(自由、自立)は相反し合うと断定的に書いた。それは家族であっても、他人であっても「人の助け」を借りることと、「誰にも気兼ねなくのんきに暮らせる」ことは相容れないということだ。

  さすがに私の伯母のように「人の世話にはならない」と息巻く年寄りは減ったが、未だに家族だったら気兼ねなく頼めるとか、高級有料老人ホームみたいにお金さえ払えばX(安心、安全)とY(自由、自立)は両立出来るとかの幻想はある。それは表層的かつ短期ならできても、根本的かつ長期的には両立できない。

  誰だって老化が進むにつれ人の助けが必要になり、少しずつY(自由、自立)からX(安心、安全)へシフトするのは仕方ないことだし受け入れるしかないと思う。ただ、それを理解した上で、出来るだけY(自由、自立)の部分をギリギリどうしたら残せるかが今の私の課題だ。

  ちょっと理屈っぽくなってしまったが、次回はもう少し具体的に老後の方程式を考えてみたい。


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