相談員コラム…老後の住まい④ “田舎暮らし”と“海外移住”つづき
今回は海外移住について。私は海外移住についてテレビや書籍、ネットの情報程度が情報源で、特別な専門家ではない。一口に海外移住と言っても短期のロングスティから日本の家を処分しての移住まで、いろんなパターンがあるようだ。「暖かく、豊かな自然の中でのんびり余生を過ごしたい。」「あこがれの場所に住んでみたい。」地域もオーストラリア、ニュージーランド、ハワイ、タイ、マレーシア、フィリピンなど。この中で私がひっかかるのは、生活費が安いと言う理由で、年金生活者が物価の安いアジアへ移住するケースだ。こうした移住の仲介業者も多く、かなり高額なツアーもある。
テレビでこの話題を取り上げるときのお決まりのシーンは、市場での買い物やプール付きの家、そしてゴルフ場だ。「安い。安い。」を連発して「日本では考えられない値段ですね。」と結論づける。日本食品のスーパーや日本語スタッフのいる病院などが紹介され、外国にいても日本と同じ生活が出来ることを強調する。
確かに物価の安いアジアの国なら、日本ではカツカツの年金生活者でもこんな優雅な老後が過ごせるかも知れない。魅力的な話だ。しかし、考えて欲しい。国の経済格差を利用した移住が本当にお互いのためになるかということを。格差の利用というのは一見お得で利口なようにみえるが、本質は帝国主義時代の本国人の発想だ。本国では貧乏な小市民でも、植民地ではリッチに暮らせるという構図だ。このグローバル時代に何を言うのかとお思いだろうが、賃金、物価の格差は厳然とある。しかし、相手国は植民地ではないし、為替が変動し円安になれば、移住生活は苦しくなるという危うさも孕んでいる。自分が優位な立場だからと格差が移住生活を支えていることに無自覚な人があまりに多いのが気になる。
思いとは別に自分がどんな立場にいるのか? それは逆に考えてみればよく分かる。日本に比べ物価がすごく高い国(そんな国はないが)から移住した人間が働きもせず「安い。安い。」と物を買いまくり、自分たちだけのコミュニティで暮らし、ゴルフ三昧の生活をする姿を見てどう思うだろう。目先の商売的にはOKかもしれないが、そんな人たちを尊敬できるだろうか? もし、そんな生活をする人を妬んで自国の貧しい人が盗みをしても、断罪する気持ちになるだろうか?
経済格差を利用しようとするなら、そんなリスクもあまんじて受け入れなくてはならない。実際、海外移住した方が「現地の人との交流は出来ればしたいけど、夢物語ですね。相手から声を掛けられたら物売りか詐欺だと思ったほうがいい」とHPに書いていた。だから、市場の物価は安くても、衛生面で耐えられず、日本食スーパーで高い食材を買い、語学力の壁もあり、つきあうのは日本人、治安が心配で外に行かないという生活になっていくようだ。日本人同士の付き合いはマージャン、ゴルフ、テニスそして噂話だという。あまり楽しそうではない。
また、あるドキュメンタリーでは、老後財産すべてを売って移住したが、計画がうまくいかずお金を使い果たし、病気になったけど病院に行けないし、日本に帰るにもチケット代もなくなったという事例もあった。この人達はどうするんだろう。国籍が日本だから、税金で帰国させ、生活保護を受けさせるのか? なんか釈然としない。
私は“田舎暮らし”と“海外移住”を否定するつもりはない。自己実現として「田舎に住みたい」「海外に住んでみたい」というのは一度きりの人生なのだから、しなかった事を後悔するより、思い切ってやったらいいと思う。ただ、田舎に対しても外国に対しても敬意を持って行って欲しい。“田舎暮らし”と“海外移住”を楽しむには、違いや不便は気にしないおおらかさと、自分は金払いのいいよそ者なんだという開き直りが必要だと思う。最悪なのは都会暮らしや日本での生活といちいち比べ「ありえない」とか「治安が悪い」「遅れてる」と不平ばかり言うようになることだ。
当たり前だが、田舎や外国は楽園ではない。のんびりすることもあれば、緊張を強いられる場面もあるし、気力も体力も資力もいる。あんまり「終の棲家」とか「骨を埋める」という悲壮な決意で移住しない方がいい。いろんな限界、特に金銭的な限界が見えたとき「撤退」できる準備をして、用心深くかつ軽やかに行って欲しい。くれぐれも好きで行くならいいが、物価が安いだけで移住するのは、相手に失礼だからは止めた方が良い。
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